2008年12月9日火曜日

ソフトウェアの品質と価値

ソフトウェアとかシステムの品質というものを一般の人はどう考えているでしょうか?

業界での標準的な考え方だと、一般の人からは「えっ?マジ?」と思われるかもしれません。

「要求された機能を実装していて動作していること」
これが最低限の品質で、時としてはこれを満たしていれば性能面で納得がいかない、とか、操作性に満足できない、など、ユーザーとしては微妙なレベルの出来栄えでも完成品として費用請求となることがあります。

自動車で例えれば
「アクセルを踏めば走るし、ブレーキを踏めば止まる。ハンドル操作で方向が変わるし、人が乗車できて荷物も多少積める。ボディーカラーも希望通りだし、ライトもつくし、ワイパーも動く…といった諸機能を満たしている新車」だけど「ドアの開け閉めをする際にやけに硬い、ライトの点灯スイッチがおかしな場所にあって使いづらい、ワイパー操作がなぜか複雑で使いにくい、荷物を積むスペースは確かにあるけれど積み降ろしに不便な構造になっている、…など色々と不便や不都合なところがある」というような状態でも「機能を満たしていて動くのだから最低限の品質をクリアした完成品」として販売されるようなイメージでしょうか。

もし、例に挙げたような車が本当に存在したとして、積極的に買いたい人はどのぐらいいるでしょうか?
自分は買わないと思いますがどうでしょう?

ソフトウェア・システムの場合、日本では特にオーダーメイド・カスタムメイドが主流ということもあって、「要求された機能を実装していて動作していること」をクリアすれば完成品として納品されることがよくあります。
もちろん全てがそのレベルで納品されているわけではなく、もっとしっかりした品質で納品されているものも多いのですが、時として最低限の品質である「要求された機能を実装していて動作していること」をかろうじて満たしているだけでも納品して費用請求ということがあります。そして、もし性能・品質面などで改良・向上を望むのであれば別途費用をかけなければならないケースが実在します。

実際のところ、プログラムで複雑なシステムを開発することは大変なことで、動くプログラムを作れることは確かにそれ自体がかなりの水準であるといって差し支えないのですが、とはいえ一般のユーザーにとっては、まともに使用できる、快適に使える、というのがあたりまえで、「要求された機能を実装していて動作していること」をかろうじて満たしていることで最低限の品質をクリアできている、といわれても納得しがたいのではないかと思います。

というわけで、ここにもシステムの開発サイドと利用者サイドのギャップがあるわけです。

店頭販売されているパッケージソフトは別として、オーダーメイド・カスタムメイドのソフトウェア・システム開発では、常に利用者サイドからの多様な要望があり、開発サイドは自分たちに可能な限りのことをつくして、要求どおりの機能を実装して動作するものを作りますが、以前このブログでも書いたようにシステム開発ではユーザーと開発者に感覚的ギャップがあります。

今回書いている「品質」に関するギャップには「費用」に対するギャップが絡みます。この業界は、以前書いた「人月」という考え方で費用を見込み、そしてそれによって請求するというスタイルから脱却しないと、他の商品やサービスを扱う業種・業界と同じ感覚を共有できる成熟した産業にはならないような気がします。

商品やサービスにお金を払うとき、その金額を払う価値を認めてお金を払うのが購買者にとって当たり前の感覚です。もちろんの価格が品物(あるいはサービス)の価値よりも高く感じることもありますが、そのときは価格折衝をしたり、購入を取りやめるか、または逆に高いことに不満を持ちつつ購入する、ということになるはずです。

そう、通常は「商品(サービス)」の価値に対してお金を払うのです。
「商品(サービス)」の原価を認めてから価値とは関係なくお金を払う、ということは通常あまりなく、もしそのような買い方をしたときは内心で価値と価格のバランスの悪さに不満をもってしまうのではないでしょうか。

おいしいものをが食べたくてお店に入り、高いお金を払ったのに、スーパーの特売商品の方がマシな味だった、となればそのお店にはもう食べに行きませんよね?でも、そのお店では手間隙かけてつくる料理だからそれに見合う価格のつもりで値決めしているのではないでしょうか。料理のコストから決めた値段に客から価値を認められないそのお店は、いずれ立ち行かなくなるのではいでしょうか。

そう考えると、やはり人月という概念を基準にしているこの業界では、そのことが品質と価格と価値のバランスも狂わせているように思えてならないのです。

原価として「人月」を考える必要はあると思いますが、売価は人月ベースではなく機能・性能・品質などの付加価値がどれだけ充実しているかによって提示していくのが本来あるべき姿ではないかと思うのです。
そしてそのとき、人月による原価を割り込むような価値の価格しか成立しないのであれば、それは商品として何か失敗しているのだという認識が必要なのではないかと感じるようになれば、日本のソフトウェア産業はようやく「ガラパゴス」から抜け出して世界で競合できる産業になるような気がします。

と、色々書いてみましたが、自分に何がどこまでできるでしょうね。弱小ソフトハウスの世間への影響力はありませんが、可能性のあることはチャレンジしてみようかな、というレベルにすぎませんので。

暖房器具販売館

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