2009年3月16日月曜日

孫子と韓非子と君主論のことで

以前、「ちょっとお薦めの本」でチラッと書いた話、
「孫子」+「韓非子」-「戦争の仕方」≒マキャベリの「君主論」
という件について、知人から「もう少し具体的に教えて欲しい」といわれました。
「全部読んだらよくわかるよ」と答えたら読書の苦手なその知人は嫌な顔をしていたので、
「じゃあ今度そのうち気が向いたらブログにかいとくよ、そのぐらいなら読めるでしょ?」
と約束してしいました。

といわけで、今回はその約束を果たそうかと思います。

孫子に中には例えば以下のようなことが書かれています。(他にも色々書いてありますが)
・戦わずして勝つことが上策、
・戦うに際しては勝てる条件を整えた上で臨むべし 
・勝てる条件が整うまでは戦うべからず
・敵を知り己を知れば百戦また危うからず  etc...

孫子は戦争のノウハウをまとめたものですから、「戦う」とか「戦い」とかの表現になっていますが、別に戦争ではなくとも、いつも世でも通用する考え方だと思います。

孫子は戦争の本なので、城攻めや野外の戦いについて実際の戦術的な話におよぶ部分もありますが、そのあたりは軽く読んでおいて、政略・戦略や人間心理に関わるところを熱心に読んで理解できれば現代のビジネス界でも通用でもすると思います。前述した項目のとおり孫子は戦争の勝敗を戦場だけでつけるという博打的な思想はもっておらず、戦争の仕方を書いた本とは言いながらも実は国家経営の観点から戦争に勝つ方法が主となっている「戦略の教科書」とでもいうべきものです。

で、韓非子は「ちょっとお薦めの本」の回に書いたように「法家主義」の思想です。
古代中国に秦帝国を築いた始皇帝がまだ辺境の一勢力であったころに取り入れて強国となり中国を統一し、遂には500年の春秋戦国という戦乱に幕を引きました。「法」を根拠にした賞罰や君臣の関係、政策・軍権掌握や軍隊の整備が他国に抜きん出るきっかけの一端となったようです。当時は各国の王といっても重臣・群臣との関係は必ずしも絶対的ではなく、王による統御が個人の資質や臣下の血族・軍事的威力によって左右されていたことも多く、それゆえに国が弱体化することもしばしあったようです。そこに「法」という縛りを設け、王と臣下の関係を「法」に基づいた絶対的な上下関係として、王の威令が徹底するような制度としたことが秦という国の強国への成長要素だったようです。
現代社会は先進国を中心に「法治国家」といわれる体制が一般的ですが、昔は「法」の整備がされておらず、それゆえに賞罰や統制が曖昧だったのでしょうね。現代の「法治国家」では国家元首も含めて法が適用される建前がありますが、古代の専制国家である秦は皇帝が超法規的存在だったため、法は臣下・臣民(民衆)にのみ適用されていた点で、ちょっと現代とは違いがあります。もっとも韓非子などは本来君主も法による制約(義務と責任)を受けるべきものという考え方があったのですが、そこは専制君主の時代なので、不都合なところは黙殺されてしまい、韓非子自身も当初は始皇帝に「師」のように厚遇されながら最後は始皇帝によって殺されてしまいます。
ちょっと話がそれましたが、要は「韓非子」とは混乱期の国の統治・統率のためとして「法」という考え方を問いたものです。
要約すると「法家」の源泉は人間性悪説なので、「法」という決め事によって人の悪しきところを押さえ、矯正し、統治が円滑に行いやすいようにして秩序ある安定した状態にすべき、というような思想でしょうか。そこには儒教で重視していた「君主の徳」という個人的な資質に期待する考え方はなく、「徳治主義」の儒教とは相対する思想でした。

最後にマキャベリの「君主論」ですが、これはルネサンス期のイタリア(ちょうど日本の戦国時代や古代中国の春秋戦国時代のようにイタリアは小国家・小領主に分裂統治されていた時代)にフィレンツェの外交官だったマキャベリが、理想的な君主はどうあるべきかの考え方を展開し、その理想的君主の統治がなされれば混乱期のイタリアで国家として勝ち残っていけるというような論となっています。したがってタイトルどおり君主のあるべき姿について書かれており、戦争ではなく政治政略の本となっています。そういう意味では基本的に韓非子同様「国の統治」というところに重点がおかれています。この中でも君主は徳で国を治めるような話は出てきません。「君主は慕われるよりも恐れられる方がよい」とまで言い切っています。やはり徳ではなく賞罰をはっきりさせる法や君主としての臣下に徹底した態度で望むことを推奨しています。
マキャベリの君主論には実はモデルとなる人物がいて、マキャベリは外交官としてその人物の治める地に赴任していたので実際に間近で見たその人物の考え方や人となりを基に「君主とはこうあるべき」という持論の裏づけにしていったようです。もっともその人物「チェーザレ・ボルジア」はイタリア統一の志半ばで病となって生死の境を彷徨い、その間に敵対勢力が策動して没落、奇跡的に快癒後には全てを失ってしまっており、最後は傭兵隊長として戦死してしまうという結果となりました。しかしマキャベリはチェーザレを君主としての理想の姿を体現している人物として最後まで好意の目で眺めていたようです。
ただ、国の統治に主眼がおかれていたといっても、実際に混迷のイタリアで勝ち残る国家の君主とはどうあるべきかを説いているので、単に国の統治だけでなく外交・内政ともに謀略・策略・情報戦の正当性や必要性及びその手法を説く記述があります。このあたりは韓非子よりも孫子に近い内容です。しかも、そのそうした国家間の駆け引きに関する記述はかなり多くあり、その意味では西洋の孫子と言えなくもないです。ただ、孫子と違って、実際に戦争をおこなうような場合の戦場での事柄に関してはふれていないので(そこはマキャベリが軍事ではなく外交の専門家だったことが影響していると思います)、その点で孫子とイコールにはなりきらないものです。

ということで。自分は大まかに要約すると
「孫子」+「韓非子」-「戦争の仕方」≒マキャベリの「君主論」
という感じになると考えています。

もっともこれはあくまでも自分の考えなので、史家や軍事研究家など各専門家の方々からは「君の考え方、受け止め方はちょっと違うようよ」といわれるかもしれません。まぁ、そういった事柄の知り合いはいませんので直接間違いを指摘されるような機会はないでしょうけれど。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

RedFoxさんお勧めの本を読んでいれば、隣とはもっと上手な勝ち戦ができたのに・・。ゆっくり読んでみます。