2009年4月27日月曜日

一票の重み

気がつけば、前回ブログを更新してから2週間ほどたってしまいました。
「時々書かないことがある」程度にしようと思ったのに、「たまに書くブログ」になって。。。反省。

さて、昨日(4/26)は仕事してました。日帰り出張です。
でも、名古屋市長選挙は朝のうちに投票しておきました。
成人になってからほとんどの選挙で投票してます。
二回ほど急な事情でいけなかったことがありますが、極力投票に行くことにしています。

というおとで、選挙について思うところを少し書いてみます。
別に今回に限った話ではありません。選挙全般に関してです。

今の日本では成人に等しく選挙権があるわけですが、投票に行かない人も少なくないですよね。
今回の名古屋市長選挙でも50%強の投票率で、半数近い有権者が選挙には行かなかったことになります。
でも、ここ何回かの名古屋市長選はもっと投票率が低くて20%台とか30%台ぐらいで低迷していましたから、それに比べれば今回は投票率が大きく上がっていて市民の関心が高かったと評されています。

で、ここからが本題です。
今回はまだマシだと思いますが、それでも「ちょっと残念だなぁ~」と思うんです。
何が?というと選挙で投票しない人がいる事です。

投票に行かないことは、つまり白紙委任に等しいかもしれないことなんだと思うのですがどうでしょうか。
「誰でもいいからうまいことやっといて」って丸投げするようなものではないかな~、って。

政治家がいい政治をするかあまりよろしくない政治をするか、政治家が不正をするかしないか。
いろんなことがありますよね。

選挙に行かないという事が丸投げ・白紙委任のような事だと考えると、それはつまり政治家や政党の行為または言動行動・活動について責任も権利も棄ててしまって「何があってもいい、どうなってもかまわない」という意思表示をしたことに近いと思うのですが、でも実際には悪政や不正があれば誰だって腹が立ちますよね。

選挙で投票した人は、自分が選んで票を投じた政治家や政党が間違ったときには誰はばかることなく「何やってんだ!そんな結果のために投票したんじゃないぞ!」って怒ることができるような気がします。

自分が投票したのとは別な政治家や政党が間違いや失敗をしたときにはやっぱり怒っていいと思います。
「自分が投票した政治家(あるいは政党)のほうがよかった」という気持ちをもつのは至極当然だと思いますから。

じゃあ選挙に参加しなかった人は?
白紙委任したんだから政治家がなにしようが関係ない?どんな悪政でも受け入れる?
そんんわけないですよね。
しっかりとした政治をしてほしいですよね。

だとすると、
「誰でも(またはどの政党でも)一緒」
「自分一人ぐらい投票してもしなくても影響ない、変わらない」
そんな安易な考えで貴重な意思表明の機会を放棄しているのは、とてももったいない気がするのです。

一票という数は小さく感じますが、その小さく感じる一票が集まって何万・何十万という大きな数字になり、それが結果へと繋がっていくことを考えると、小さな一票は決して軽くないと思ったりするのですがどうでしょうか?

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